まちだクリニックの町田です。

FaceBookで心温まるお話をみつけました。
在日海兵隊FBより(2月2日記事)
アメリカの女の子がiPod Touchを紛失してしまい、それが戻って来た時の沖縄の人たちへの感謝と沖縄の人たちの誠実さを父親が書きつづった心温まる文章です。
(論説)日本人の礼儀正しさ、誠実さを一生忘れない
グレッグ・オバー米国海兵隊少佐
【在日米海兵隊】サッカー好きな私の家族は夕食の席で、沖縄に住むことがどれほど好きかという話を時々します。
議論することも多々ありますが、沖縄でのサッカーのユースチームの素晴らしさや沖縄の人々の誠実さについてもよく話します。
例を挙げると、先週、私は職場から家路につく途中、高速道路のバス停で娘のブライス(12歳)を拾い、彼女をヴィクサーレ・ナビータ沖縄との練習へと送り届けました。
その時、どうやら娘のiPod Touchがサッカーバッグから転げ落ちてしまったようです。
私たちは、4時間後に家に着いた午後9時頃までその事にまったく気付きませんでした。
ご想像の通りブライスはパニックに陥り、私はiTouchを探すために彼女をバス停まで連れて行くことに同意しました。
私は心の中では、もうiTouchは無くなっていると思っていました。
茂みに落ちてしまい二度と見つからないか、あるいは「見つけた人の所有物になり、失くした人は泣くしかない(ことわざ:Finders keepers, losers weepers)」とよく言われるように、誰かが拾って持ち帰ってしまっただろうと考えていました。
ブライスと私は懐中電灯とレインコートだけを持って、iTouchを探し回りました。
ブライスを車に乗せたとき、彼女は高速道路の出入通路からまっすぐ私の車へ向かって来たので、私たちはバス停のベンチの上をチェックせずに通り過ぎようとしていました。
ふと、私は彼女にベンチの上もチェックするように言い、彼女がそこを見てみると、iTouchはそこにあったのです。
誰かがiTouchを道路から拾い上げ、きちんとベンチの上に置いてありました。
さらに、iTouchを雨から守るためにわざわざビニールに包まれていました。
私たちは驚きました。
4時間の間にバス停を訪れた人が私たちがiTouchを見つけられるように、安全に置いていってくれたのです。
世界中どこに行ってもこんなことは起こりえないでしょう。
翌日、私はバス停にiTouchの写真と一緒に「ありがとうございます」と日本語で書いた張り紙を残しました。
娘とiTouchの再会を助けてくれた心優しい人にこれを見てもらい、私たち家族に影響を及ぼしたことを知って欲しいと願っていたからです。
いつかは沖縄での任務に終わりが来ますが、沖縄の人々の優しさと寛容さを私たちはずっと忘れないでしょう。

オバー少佐は6年前から沖縄で勤務し、地元のサッカーに深く関わっている。現在、キャンプ・コートニー(うるま市)にある第三海兵師団作戦部で働いている。

iPod touchを失くした事に気付いた時にはとてもショックだったでしょう。
藁にもすがる思いで落とした可能性のあるバス停まで戻り懐中電灯で探しまわり、それでも見つからないとあきらめかけたところiPod touchを見つけた時の喜びは相当なものだったでしょう。
しかも、(落とし主が探しに来た時に見つけやすいように)ベンチの上に置き、なおかつ雨に濡れないようにビニールで包まれていたのを見た時の気持ちは筆舌に尽くしがたい思いがあったでしょう。

iPod touchが落ちている事に気付いた方とビニールで包んだ方は同一人物かもしれませんが、別人かもしれませんね。
また、ベンチの上にiPod touchが置かれているのを何人かの方は気付いたかもしれませんが、落とし主が探しに来ることを期待して温かく見守ってくれたのでしょう。

そしてブライスさんとオバー少佐は感謝の気持ちを伝えるためにメッセージを残しました。
>翌日、私はバス停にiTouchの写真と一緒に「ありがとうございます」と日本語で書いた張り紙を残しました。

バス停を利用された方は事情を知っている方も知らない方もこの張り紙を見て落し物が持ち主に届いたことを知りホッとしたでしょう。

高速道路のバス停なのでひょっとしたら拾った方、包んだ方(同一人物かもしれませんが)にあなた方の善意が無事に届きましたと伝わることを願っています。

拾った方、見守った方、そしてあきらめずに探したブライスさん、オバー少佐、みなさんの行為が胸を熱くさせてくれました。ありがとうございます。

善意のバトン、普段の生活でもつなげていきたいものですね。

まちだクリニック