巨大地震の日ー命を守るための本当のこと
まちだクリニックの町田です。
今日から年末休みの方もいらっしゃると思います。
ちょうど10年前の2004年12月26日、スマトラ沖で大地震が起きました。
その後の津波によって多くの犠牲者が出てしまいました。
この年は日本でも10月に新潟県中越地震がありました。
当時、妻の両親が震源地近くの新潟県小千谷市に住んでいましたので震災後に食料や着替え、そしていつでも連絡が取れるように携帯電話を持って行きました。
私は横浜に住んでいましたのでいいつもならば関越トンネルを通っていくと2時間程度で到着するのですが、地震の後でトンネルの安全性が確認できていないということで東京〜山梨〜長野〜新潟というルート(いわるゆ「大町ルート」)で新潟へ行きました。
新潟に入ると地震の影響で道路が波を打っていました。高速道路もスピードを出して走行することは不可能でした。(もちろん余震も続いていました)
長岡で高速道路を降りて一般道を使い妻の実家に到着しましたが、よく使う道路はあの土砂くずれで通行できませんでした。
この本は1995年1月に発生した阪神淡路大震災を経験した作家高嶋哲夫さんが自分の経験を踏まえて「今後再び起こるであろう大震災(それに伴う津波被害)にどのようなことを考え、備えるべきかということを書かれた本です。
その後、2011年3月11日には東日本大震災が起き、津波被害で多くの方が亡くなり、傷つきました。
東日本大震災では国内だけでは自治体・消防・警察・自衛隊だけでは手が足りず米軍も救援に駆けつけてくれました。
私も東北地方の親族・友人となかなか連絡とれず心配していました。
自分が救援に行けるものならば行きたかったという思いの方もたくさんいたと思いますが、在日米軍の海兵隊が沖縄から救援物資を届けに来てくれたという声を聞いて大変嬉しく思いました。
沖縄でも時々地震がありますが大きな地震や津波は来ないと思っているとしたらそれは間違いです。
歴史上記録の残る日本最大の津波は1771年4月24日(明和8年3月10日)八重山地震だそうでwikiによれば
石垣島における津波の最大遡上高は、『大波之時各村之形行書』の記録によれば宮良村で「二十八丈二尺」(85.4メートル)に達し、石垣島を縦断したとされており、日本最高の遡上記録とされる。しかし、実際の数値はその半分程度だったと考えられ、当時の測量精度や被害地点の標高、数値計算の結果などから、遡上高の最大は石垣島南東部で30メートル程度とする説がある。
と記載されています。
大きな津波が沖縄を襲ったとしたら港はもちろん海抜の低い空港はかなりのダメージを受けるでしょう。
その時に沖縄へ来る救助隊や救援物資はどこへ運ばれるのでしょうか?
沖縄の各自治体、県庁は震災・津波に備えて政府や自衛隊とコミュニケーションをとっているでしょうか?
海抜の高い位置にある普天間基地だけは津波被害を心配する必要がなさそうですね、
北谷町や宜野湾市、浦添市などは各々米軍基地と防災に関して相談しているようですが、沖縄県全体を考えた時に米軍と連絡をとれる体制作りをしているでしょうか。
大震災が起こった時は我々医療関係者も自衛隊や米軍と一緒になって働かなければいけないですね。
震災の時にどのようなことが想定されるのか、興味のある方は一読をお勧めします。
まちだクリニックでは12月29日まで内視鏡検査を行っています。
1月は5日からです。